- お米の発祥はどこの国?
- 世界のお米ってどのくらい前から作られているの?
- 日本に渡ってきたのはいつ?
まるで子供の社会の授業のようだけど、大人になって米粉パンに興味を持つようになったら、気になってしまったので、調べてみました。

今回の記事では、世界のお米の歴史について、分かりやすくご紹介します。
世界のお米の歴史

お米の発祥の地は正確にはわかっていないようです。
しかし、お米をつくるために必要な稲作の始まりを辿ることは可能です。
始まりの地はどこ?

日本に渡ってきた技術を辿っていくと、インドを流れるブラマプトラ川流域のアッサム地方にたどり着きます。
世界の稲作の歴史

稲作が始まったのは、今から7000年~1万年前と言われています。
長江下流の河姆渡遺跡には、7000年前の地層から稲の種子が出土していることからこの時期が判明しています。
日本に伝わったのが、縄文時代からと言われていますが、この話は別の記事でご紹介してます。

稲はどこから日本へ?

日本の稲作も縄文時代の後期(3000年~4000年前)とされています。
中国北部から朝鮮半島、そして、九州を経由して、東に広がっていったと言われています。
他にも中国の華南地方から沖縄や奄美諸島に沿って伝わったという説もあるとか。
お米と日本社会の変化

紀元前3世紀には、卑弥呼の登場する倭国(邪馬台国)が誕生しています。
卑弥呼の時代には、稲作栽培の農地社会がほぼ完成されていたと言われ知恵ます。
つまり、この稲作栽培が始まった古代には、米を中心とする社会ができていたのです。
- 農地管理
- 共同労働
- 米の管理
- 水の管理
こうしたまとめ役として、結という共同体があったそうです。
この「結」が、日本の社会の基礎とも言われています。
日本は、米によって、支配する力を持つものが現れたという見方もできます。
お米と地位

お米を豊富に持つものは、富と権力を早く手にした。
すると、米の大量生産に乗り出すものが現れる。
こうして、米の生産によって、格差が誕生します。
しかし、その差が米の争奪戦という形に発展していたそうです。
それが、農地の奪い合いです。
米は、生活と経済の基本であるという考え方は、武士が天下を支配していた幕府の時代まで引き継がれています。
お米を換金するという仕組みが江戸時代にまで残っていたのです。
結果、米商人が誕生し、コメ相場を決めることで、日本経済を違う角度から、支配するようになったのです。
この文化が、町人文化になっていったとされています。